那須大八郎と鶴富姫の物語

寿永の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の残党は四方に逃れ、その一部は山深き、日向国椎葉山中へ分け入り、ここを隠れ里と定めた。ところがこのことを知った鎌倉幕府は平家追討の命を「扇の的射」で知られる那須与一宗高に与えたが、与一は病のため、替わってその弟大八郎宗久に追討を命じ、日向の国に下向させた。

世の功業戦宝も振り捨て唯谷川のせせらぎで鳥の声を慰めとして一途に山の庵に渡世する衰微した落人を目の当たりにした大八郎は深く哀れみ、平家尊々の厳島神社を椎葉山中に祀るなどして平家の人々を徳を持って導いた。
 滞在3年、大八郎は平清盛の末族と言われる鶴富姫と恋仲になり、やがて鶴富姫は大八郎の子を宿したが、運命の訪れは非情で鎌倉幕府により大八郎に帰還の命令が下った。

悲しみに暮れる鶴富姫に大八郎は名刀天国丸とお墨付きを与え「その方の懐妊我覚えあり 男子ならば本国下野に差越すべし。女子ならば遣すに及ばず、宜敷く取計るものなり」と住み慣れし山里を後に鎌倉に向かい出立した。鶴富姫は月満ちて女子を産み、婿を迎えて那須下野守と名乗らせ、その一族が長く椎葉を治めたと伝えられる。